ボヘミアンラプソディー
を観ました!
私は特にクイーンのファンというわけではないのですが、生きていたら絶対コンサート行きたかった〜〜〜(><)
きっとCDや映画館ではあの熱量は表現しきれないのではないのではないでしょうか⁈
私が洋楽を好きになった頃に丁度フレディは亡くなったみたいで。
妹や母が一時期ハマって聴いていたのでナントナク聴いていましたが、私の中でロックぽくなかったので特に気に留めていませんでした。
私的にロックは特別 声や歌がうまくなくても声量と熱量があれば良いものだと思っているのですが、フレディは歌声が綺麗過ぎてロックの範疇を超えていると思っていました。
歌声だけでなく音楽もロックという形に全然ハマってないなと。だからこそ沢山の人々から愛されるのだろうなと。
フレディが自分たちは境界を越えていると言っていましたが、本当クイーンというバンドは色々な意味で境界を越えたビッグバンドだなぁと思います。
改めて映画館の大画面で観て、フレディの熱量と声量はそうとうなものだったのだろうなとおもいました。
そして映画館でもそれはまだまだ表現しきれないのではと。
ストーリーの作りは結構普通だと思いましたが、そもそもフレディの人生と音楽が凄いので作りなんて関係ないと思います(笑)
この感じはオランダのゴッホ美術館へ行った時にその才能に大変感銘を受けた時に似ています。
オーディオでゴッホの生い立ちや手紙なんかを聞きながら生の絵を見てるだけで重厚な映画でも見ているような感覚になりました。
とにかくゴッホの筆使いから物凄い熱量を感じました。
それにしてもマーキュリーて名前も凄いぴったりですよね〜
水星と言うとコミュニケーションとか言葉を司る意味の星らしいですが、彼の歌詞はまさに宇宙から降りてきているのかもしれませね〜
映画の企画は10年前からあったみたいですが分断やLGBTの問題が上がる今という時代に出来上がったのにも意味があるような気がしてまいます。
本当の意味でありのままの自分てどういう事なんだろうね?とか。
フレディはコンプレックスや常識とか決まりきった形というの境界を越えた存在なのでしょう。
ボヘミアンラプソディーという題名にもなったこの歌詞にも彼の隠されたメッセージが込められているのですねぇ
この映画を一言で表現するなら、魂の家族の話だと思いました。
彼は途中でゲイだと元奥さん(あ、結婚はしてないんですね)に告白して別れるのですが、性癖は違くても彼女とは最後まで必要な存在だったみたいです。
バンドメンバーとも家族なんだなと思いました。
何度喧嘩をしても完全に切れるわけではないのが家族ですから。
ちょっと話がそれると、私は最近、ツインの相手は魂の家族だと思うようになりました。
はじめの頃は魂の結婚をしたんだという感覚がありましたが、今は実際には側にいなくても家族のような存在という感覚になりました。
ところで映画の中でフレディは大切な人は必ず本物の家族に紹介するんですよね(笑)これは映画の演出かもしれませんが。
フレディ役の人は最後のライブのシーンの横顔が本当にそっくりなんですよ〜
しかし1番似てたのはギターの人だな👍
フレディがパーティーざんまいだった時はLIVING ON MY OWN みたいな感じなんだろな(笑)
LIVING ON MY OWNは私がはじめて見たフレディのビデオでしたが凄くカッコ良くて、曲と作りが、これだけずっと聴いてました。
音楽映画というとふと、ベルベット ゴールドマインて映画を思い出しました💡