薪能
ずっと以前、近所の神社で薪能をやるというので行った事がある。
アルケミスト
アルケミスト
鳥の糞
情報交換
人は本当に見えない領域では繋がっている。
特にスピリチァルに興味のある人同士は繋がりやすいようだ。
スピリチァルが好きだけど特別霊を見たりはできないが、とても感が良い友達がいる。
しかし友人は自分ではその事に気がついていない。
まだ話していない事をパッ口に出したりする。
私が思うに友人は知らずに相手のエネルギーの記憶を読んでいるのだと思う。
そういう人とはエネルギーが通いやすくなっていたりするぽい。
よく、同じ時期に同じものを気になったりす。
あんまりによくあるのでたまに気持ち悪く思ってしまうほど^_^;
これはスピリチァル系のブログも同じで、自分が一方的に読んでいるだけなのに、そのブログと自分の考えが時期もどんぴしゃりの時がよくある。
それも気になる、又はお気に入りのブログである程その確率が高くなっている。
多分それは自分とエネルギーの波長が近いからなのかもしれない。
こうやって知らぬ間に見えない領域では情報交換がなされているのだろう。
私が信頼しているチャネラーさんは、そのスピリチァルの友達が初めにブログを紹介してくれて、そこで仙台でセミナーをすると読んで突然行くことにした。
仙台も今まで行った事もなかったし、ブログも読んだばかりだったが、その時はどうしても行きたい!て気分になり行くことにした。
その前日の夜、なぜかチャネラーさんがニコニコと私に何か話しかけている映像が頭から離れなかった。何を言っているのかはわからなかった。ブログに写真が載ってたので顔は知っていた。
それと山の映像が一晩中頭にこびり付いてほとんど寝る事ができなかった。
富士山の山のように見えたが、そちらの方面に富士山があるはずないのに、なぜ⁈と思っていた。
しかし翌日新幹線に乗って仙台の近くになって窓から見える大きな山を見て、これはまさに昨晩脳裏から離れなかった山だと驚いた。
なんだったんだろうと思ったが、今になって分かるのは、そうやってエネルギーの交流をしているのだろう。
その事は今でもチャネラーさんに話した事は無いが、(人見知りなので)
その後のブログやセミナーでも不思議な繋がりを感じることが沢山ある。
スピリチァルの人や興味のある人との方が、スピリチァルに全く興味がない近い知人よりもそういった事が起こりやすいようだ。
ツインの相手とももちろんそういう事がよく起きるが、それを超えている感じがする。
ただエネルギーが一致しているというより、やっぱり自分の中にいるんじゃないかと思えるような事が起きる。
シンクロ
なにを意味しているかわからないがシンクロがあった。
たまに次々とシンクロの連鎖がある時がある。
その時は意味が分からないが、後にそういう事だったのだ!とわかる時がくる。
まだ来ていないのもあるから全部か分からないけど。
本屋で買うつもりはなかったスピリチァルの雑誌と本を買って、その日に買おうと思っていた京極夏彦の小説が漫画になったものを買った。
狂骨の夢というものだが、ずっと前に小説で読んだ事があった。
この方の小説は宗教的造詣が深くて、読みながら色々な事を知れて面白い。
けれどそんな知識は自分にはないので内容をよく覚えていなくって、もう一度 漫画で読んでみようと思った。
漫画は上と下に分かれていたので先に上は読んでいたので今回は下巻を買った。
漫画を読む前にスピリチァルの雑誌を読んでいたら、その中で面白い絵のタロットが紹介されていて、私は目を閉じて「今の私にメッセージをください」と思いながらその中の絵を指した。
たまにタロットのカードを引かないでタロットのカードの本をぱっと開く、というやり方で本当に当たる事がある。
指で指した所は審判のカードだった。
タロットは少しかじった程度なのでよくはそのカードが意味する事を理解していなかったので審判のカードの意味を色々調べた。
審判のカードにはラッパを吹く天使と男女とその子供のような絵が描かれている。
その子供はキリストの復活を意味しているとか、両性具有に描かれているとか書いてあった。
タロットは後になってその意味を実感する事がある。
今回なんでこれを引いたか自分にはよくわからなかったが、とりあえず放っておいて漫画を読み始めた。
するとぱっと開いたページに「最後の審判みたいだな」と言うセリフが書いてあって驚いた。
この漫画の上巻は色々な奇妙な事件が起きた所で終わっており、下巻でやっと謎が解明される。
今回の事件には男女が交わることで神が復活すると思っている宗教団体の事件であった。
今日買ったスピリチァルの雑誌も聖なるパートナーシップについての特集でタントラの事も書かれていて、雑誌と漫画もシンクロをしていた。
漫画ではその男女が交わることで産まれる子供こそがこの宗教の本意だと言っていた。
さっき引いたか審判のカードの男女と子供の絵を表しているようにも思えた。
タロットはたまたま引いたわけだが、タロットと漫画と雑誌はなぜかシンクロをしていた。
この翌日にデパートに行きトイレに入ると、そこの棚に誰かが置いた聖書の文が書いてあるカードがあった。
なんとなく読んだらまたそこに気になる事が書いてあった。
その文は創世記3の22 「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」
とあった。
別にキリスト教に詳しくないので初めて知る言葉だったが、命の木と書かれているのが気になった。
なぜならスピリチァルの雑誌の表紙にこの生命の木が描かれてあってそれが昨日からやけに気になったからだった。
雑誌の中でこの生命の木はツインの元になったと書いてあった。
またこの日の夜たまたまケーブルテレビでグリーンマイルがやっていた。
前に何度も観ていたけれど、今回はじめこの作品がキリストの話をベースに作られているのだと気がついた。
主役のコフィが癒しの能力がある事や、最終的に無実なのに死刑を受け入れる所など。
このタイミングで観たので気づくことができたのだと思う。
選択
先日のウエサクは大きなゆさぶりがあった。
ウエサクの時のように年末とか誕生日の時などは強いエネルギーを感じる。
ウエサクや年末や立春などは地球がアセンションしているのだろうと思う。
自分の誕生日の時は自分がアセンションしているのかもしれない。
こういう時は考えがグラつく。
これをゆさぶりと言うのではないかと思う。
私の場合、今までの自分のして来た事を、本当にこれでいいのか?と言う思いにさせられる。
それまではそれでいい!と思っていたのに。
これは上から試されているのだろうか?
本当に今までの自分でいいのか、または
ここで考え直して違う方法に変えた方がいいと思うか。
変わる事を選んだ場合は最適な時期なんじゃないだろうか、こういう時と言うのは。
しかし逆に変わる事を選ばない場合、このゆさぶりは自分の意志を試されていると思われる。
ふと、昔に観たウェレムデフォー主演のキリストの映画「最後の誘惑」を思い出した。
もちろんどちらを選ぶかは自分次第。
私は2012年に大きなアセンションがあったとされた時に体調を崩した。(こちらに書かれている内容がほぼ当てはまる☆)
その事により見えない世界を知る事となった。
その時に、愛を選択するかエゴを選択するのかと上から迫られた事があった。
アセンションする時というのは、宇宙が私達に選択するようにと問いかけている時なのではないかと感じる。
たまにスピリチァルのブログなどを読んでいると、
自分の霊的体験こそは正しいものでそこから得たその人の答えを押し付けている
ように感じるものがあるが、
私は 霊能力が高い人=高次の存在
だとは思っていないので、結局の所、答えはいつも自分の中にあるのだと思う。